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津地方裁判所 平成5年(わ)13号 判決 1993年4月28日

主文

被告人を懲役六年に処する。

未決勾留日数中四〇日を右刑に算入する。

押収してあるパン切り包丁一丁(平成五年押第四号の一)を没収する。

理由

(犯罪事実)

被告人は、実兄A(昭和二六年一月一一日生、以下「A」という)と共に相続し、A居住の土地建物を無断で処分したことについて、Aと口論を繰り返していたところ、平成四年暮れ以降、Aは肩書住居の被告人方に押しかけては、被告人やその家族に対してたびたび暴行を加え、あるいは物を持ち出すようになっており、妻とも相談し、自宅を売却してその代金を渡すほかはないと決意し、不動産屋に処分を依頼したりした。平成五年一月九日午前零時二〇分ころ、右被告人方を訪れたAから「お前この家を出てゆけ、金を都合しろ」などと申し向けられ、一旦タクシーで外出したが、お金の都合ができず、「自宅にお金がある」との被告人の言で同日午前一時二〇分ころ、再び二人で被告人方に戻ったところ、どこにもお金が見つからず、Aが怒り出したため、その食堂において、土下座をして「勝手に処分して悪かった。土地と家を処分し、ローンを差し引いた金を兄貴にやるから勘弁してくれ。子供もいるから家に来るのはやめてくれ」などと謝罪、懇願するなどしていたが、Aが「そんなことは関係ない。そんなことではすまん。三〇〇〇万渡せ。」と言い、いきなりパン切り包丁(<押収番号略>)を右手に持って切りかかってきたので、被告人はAの右手を両手で押さえ、しばらく揉み合ううち、同人が包丁を落としたので、これを拾い上げ、同人を押し倒して馬のりになるや、とっさに同人を殺害しようと決意し、右包丁及び同所に散乱していたボールペン等で同人の顔面、頭部等を数十回にわたり突き刺した。何回も突き刺すうち、Aが動かなくなったので一旦はAの様子を見守ったが、そのうち同人が動いた感じがしたので前後二回にわたりその頸部を両手で圧迫し、よって、同日午前二時ころ、同所において、同人を顔面・頭部刺切創を伴う窒息により扼殺して殺害した。

(証拠)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の行為は、正当防衛もしくは過剰防衛に当たる旨主張するので、この点につき検討する。

前認定の事実にかんがみれば、被告人が、突然被害者からパン切り包丁で切りかかられたことから、被害者と揉み合いになり、被害者の落とした包丁を拾いあげ、被害者を押し倒して馬のりとなり、右包丁及びボールペン等で被害者の頭部もしくは顔面を数十回突き刺したところまでは、相当か否かはともかく、被害者の急迫で不正な攻撃に対して、被告人において殺人の実行行為に及んだことが明らかである。しかし、被害者が動くことなく、したがって抵抗をしなくなって以降、少なくとも被告人が被害者の様子を見守るようになって後の段階においては、被害者から包丁で切りかけられたことによる興奮状態は相当程度治まっていたことが窺われ、更に、殺人の実行方法も殺傷能力に乏しいボールペン等で突き刺すという方法から頸部を両手で圧迫するというより確実な方法に変更しているのであって、いわば止めを刺すことへの余裕さえ認められる。そうだとすれば、右の段階では被害者による急迫不正の侵害は消失し、もはやそれが継続している状況になかったと認めるのが相当である。

しかも右の段階においては、被告人自身も被害者が直ちに攻撃してくる気配がないことを認識していたことは明らかであり、かつ興奮状態は相当治まり、余裕さえ認められるのであって、前記の頸部圧迫が余勢に駆られた行為とは到底言い得ず、被告人にとって被害者は歓迎しない闖入者であったということで盗犯等の防止及び処分に関する法律一条(正当防衛の特例)の趣旨を考慮に入れても、被告人が急迫不正の侵害が続いているものと誤想して頸部扼殺に及んだとは到底認められない。また、被告人の一連の殺人実行行為を全体的に観察して、過剰か否かはともかく、急迫不正の侵害に対する防衛行為であると判断するのも先に認定した本件の経緯及び状況等(因みに、本件では包丁やボールペン等での突き刺し行為により生じた傷害は被害者の死因となっていない)に照して相当ではない。

結局、弁護人の正当防衛及び過剰防衛の主張は採用できない。

(量刑の理由)

本件犯行は、確定的殺意をもって被害者の頭部等を集中的に狙いパン切り包丁やボールペン等で執拗に突き刺し、更に被害者の首を両手で二回にわたり圧迫して止めを刺したというものであり、その態様は残虐かつ悪質であり、被害者の死亡という結果も重大である。被告人の刑事責任は極めて重い。他方、確かに相続財産を無断で処分したことに被告人の落ち度があったことは否定できないが、そのことを理由に被害者が、被告人及びその家族に対して度重なる暴行に及び、被告人らの生活を脅かし、被告人自身としては、家族の生活を守るために切羽詰まっていた状況のもとで、被害者が更に包丁を持ち出して被告人に切りかかってきたことをきっかけとして本件が偶発的に生じた面もあり、被告人に同情すべき点も認められる。その他、罰金以外の前科がないこと、形式上離婚した形の妻及び四人の子供にとって依然として精神的支柱であること、サラ金からの借金で生活するという従前の生活態度も含めて自己の所為を反省していること等の有利な事情も存するので、これらを考慮して量刑した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官油田弘佑 裁判官中村謙二郎 裁判官並山恭子)

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